長野県北西部安曇野の中東部に位置する八坂村は、南は池田町・東筑摩郡生坂村、東は更級郡大岡村、北は美麻村・上水内郡信州新町、西は大町市に接しています。村の中央には金熊川が北から南へと貫流し、これを境に西に鷹狩山を中心とする中山山脈と、東に大姥山・城山が連なる金戸山脈がそれぞれ縦走しています。
 村域は東西7.9km、南北8.5km、総面積は33.94平方キロメートルですが、その半分以上を山林原野が占めています。標高は、東部地区犀川流域の440mから西に向かって高くなり、鷹狩山頂では1164mと起伏に富んだ地形となっています。
 東山地方にあった相川村・大平村・大塚村・切久保村・野平村・舟場村・左右村・槍平村と丹生子村枝郷菅の窪が、町村制により明治8年(1875)に合併し、八坂村が誕生しました。
 この地域からは旧石器時代末のナイフ型石器や、約8000年前の縄文式土器が発掘されており、そのころから人々が暮らしていたと推測されています。奈良・平安時代には安曇野の仁科氏の支配下にあり、藤尾覚音寺にある国重要文化財千手観音像は治承3年(1179)の造立として知られており、いくつかの集落が高度な文化を持って存在していました。その伝統は今も独自の文化として山郷に息づいています。
 昭和になってからは、32年に旧広津村菖蒲地区を編入合併、34年に左右地区を信州新町へ分離し、現在に至っています。
 年間平均気温が9.9℃と比較的低温で、夏は避暑地として最適です。年間降水量は1,358mm、最大積雪量は50cmと多い地域です。また根雪期間が100〜120日と長く、寒冷度は2級地です。このため例年融雪・冷霜害・ひょう害・干害などの災害を受けやすく気象条件は厳しいものとなっています。
 しかしこの厳しい条件が、豊かな植生や四季折々の美しさを演出し、人々に自然の恵みを与えてくれます。

八坂村
東経 137°55′2″
北緯  36°29′7″
  
総人口 男女別数 世帯数
大正 9年 2,851 1,466 1,385 560
   14年 2,785 1,428 1,357 552
昭和 5年 2,824 1,472 1,352 549
   10年 2,890 1,496 1,394 550
15年 2,884 1,481 1,403 528
22年 3,161 1,551 1,610 572
25年 3,199 1,585 1,614 559
30年 3,059 1,511 1,548 548
35年 2,708 1,321 1,387 531
40年 2,248 1,098 1,150 479
45年 1,874   909   965 432
50年 1,727   849   878 409
55年 1,503   752   751 399
60年 1,499   743   756 439
平成 2年 1,363   684   679 386
7年 1,315   649   666 400
12年 1,257   626   631 406
(単位:人、戸)