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2005/08/02
明野夏祭りで
執筆者: yuni (2:35 am)
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明野夏祭り。今年はお客さんとしてではなく、なんとステージに上がって歌ったり演奏したりしてしまった。 「木実の森」をこの場所につないだ役として、その経過などを紹介して欲しいと言われたのだけれど、話すだけではどうもうまく伝えられないと思ったので、木実の森と出会って、私がいちばん感じたこと、その意味を伝えようとしたのだ。 つまり、音楽を自分でもう一度やってみようと思ったということ。 棚田のコンサートからはじまって、今日のステージまでそれは一貫している。 そして、木実の森は、またやってくれた。 自らの舞台に、クラリネットを吹く中学生と太鼓を叩くパン屋さん、どちらも明野の人だが、舞台の直前に交渉して、ちょっと練習もして、いきない参加させてしまったのだ。 明野の夏祭りは、イベントの自給自足みたいなものだ。 誰に頼まれるわけでもなく、自分たちからやりたいことを持ち寄って、お祭りをつくりあげる。 日本各地や、八坂のあちこちから、寄り集まった人たちによる、新しい集落ならではの、自由な空気と、なんと言っても八坂でいちばん子どもが多いという元気さが、こんな楽しいお祭りを生み出すことができたのだろう。 でも、たぶんその昔、新しい時代の風を感じて、旧来の「むら祭り」に獅子舞や踊りというアトラクションを採り入れはじめたときには、八坂のむらじゅうに、そんな元気が満ちていたのではないだろうか。 そんなお祭りが、多くの「むら」で、維持するのが精一杯というところにまで来てしまっている。 いろんなスタイルがあって当然だけれど、やっぱりお祭りは楽しいほうが良い。 楽しいことが、少しずつでも積み重なって、この地で暮らして来て良かったな、これからも暮らして行きたいなという気持ちを生み出していく。 最後にみんなで歌った「ふるさと」、明野が私たちの故郷だということを、せめてこの瞬間だけは共有したい、そんな気持ちが伝わってきた。 「志を果たして、いつの日にか帰らん」 明野の子どもたちも、いずれはこの村を出ていくのかもしれない。たしかに志を果たすには、「むら」は狭すぎるという気はする。 でも、志をもってこの地にやってきた人もいるのだ。 「むら」は出ていくべきところではなく、遠くにありて想うだけのものでもない。 「いま・ここ」に生活が続いている場所でもあるのだ。 |
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