うぇブログ - yuniさんのエントリ |
yuniさんのエントリ配信 |
2004/11/01
情報
執筆者: yuni (11:49 pm)
|
一応ここは情報を発信したり、通したり、整理したりする場所だと思っています。 ただ、絶対的アクセスが少ないので、混乱なくやっていられるのですが、もしも中越地震のまっただ中で活動しているブログサイトのような状態になれば、私なんてとてもついていけません。ということは、八坂村のほとんどの人にとっては、ネット上の情報なんてものは役に立たないということでもあります。 インターネットは被災者の周辺、行政やボランティアやこれから何かしようとしている人たちにとってはとても有益な情報を提供しています。いまどんな物資が必要なのか、ボランティアに行くにはどこに連絡をとり、どんな準備をすればいいのかなどなど。もちろん、被災当事者に有益な情報もたくさんあるのですが、残念ながら避難所にパソコンを持ってきている人はほとんどいないでしょうし、パソコンなんてさわったこともない人だってたくさんいるのです。 大地震のおかげもあって誰も八坂村にボランティアで支援に来ようなどと思ってはいないので、私はこんな呑気なことを書いていられるのですが、もし八坂が災害の中心地になってしまった場合を考えると、やさかむら.netで何ができるのか。やはり紙に印刷した情報の必要を感じます。 **** 20日の夜、私は消防団の本部にいる知人から直接携帯電話で、一ノ瀬は避難することになるので、これから家族のところに行くと知らされました。その後一ノ瀬の人々にも役場から個々に電話があったようです。私の家族は消防団員に誘導されて徒歩で小学校に向かいました。車道は危険という事前情報があったからです。実際には徒歩で通ったルートで後に(たぶん夜半すぎ?)土砂崩落が発生していました。一ノ瀬の他の人たちはほとんど車で避難所にむかいました。車道の危険について地元の人たちはその「程度」についてよくわかっていたからです。 一方私はその時点で、この災害の危険度についての認識が甘かったと言えます。小菅で消防団員として防災活動をしていた私は、作業が一段落した時点で一ノ瀬で避難指示が出たことを分団長に口頭で伝えました。消防無線はありましたが、現場では聞き取りにくく、状況把握は遅れていました。 金熊川の増水の勢いははげしく土嚢などはすでに用をなしておらず、すでに消防団としてできることは限られていたので、分団長は私が家族の元に合流することを許可してくれました。 同じとき役場から小菅の様子を見に来ていた職員と議員がいたので、いっしょに歩いて小菅を離れたのですが、途中何カ所も土砂崩落している場所があり、豪雨の中膝までもぐる土砂をかきわけてそうした場所を突破しました。 今考えれば、これほど危険なことは無かったのです。まさに土砂が崩落しつつある最中に、その現場を通り抜ける必然性はまったくありません。流れ落ちてきた大木をまたいで歩いたわけですが、次の木がそこまで迫っている危険を理解していませんでした。小菅にいた私たちの問題は「浸水」であって土砂くずれの危険を意識するような状態ではなかったのです。 現に土砂崩れが目の前で発生しているにもかかわらず、土砂崩れの危険性を知るための知識も情報もなく、一方で避難指示が出ている状況でありながら、夜間に土砂崩落現場を歩いて突破することの危険を指摘する者などいませんでした。そして、たぶん同じ頃、笹尾で大崩落が民家のすぐそばを通り抜けていったのでした。笹尾では避難指示は出ていませんでした。そのためかどうか、あの場所を通りがかった人がいなかったのは幸運だったとしか言いようがありません。 全ては経験を越えたレベルの災害であり、誰も的確な判断はできませんでした、しかし結果として人的災害が無かったのは、ほとんどの人が動かなかったからと言えるかもしれません。そして数少ない動いていた人たちは幸運だったのです。 避難所にはその後の情報はまったく入らなくなりました。役場は避難所に情報の流す機能を持っていなかったのです。翌朝私は分団に復帰するために避難所を離れたのですが、結局住民の側で役場に出かけたり現場を見に行ったりして情報を集めるしかなかったということです。 ともかく、一ノ瀬のひとたちは明るくなって家にいったん戻り、被害状況を目で確認し、その後の地滑りの危険などの情報を得て、2日目からはそれぞれの避難場所を選んで自主的に行動し一部の人は一ノ瀬に戻りました。 私は21日の夕方になって、一ノ瀬の地滑りの状況について役場の職員から現地で話しをきいて、当面避難した方が良いだろうと自分で判断しました。そのために自分では「自主避難」という認識でいます。しかし、行政的にはどうなってるのか、イマイチわかっていません。私がいないときに、役場から電話があったようですがそれが、避難勧告のようなものだったのか、単なる情報提供だったのかよくわかりません。 台風は地震とちがってすぎてしまえば終わり。その後3日間は消防で災害復旧にかかわったものの、あとは日常生活に戻り仕事もしているので、だんだん情報がつかめなくなっています。世間では地震の情報ばかりですし、我が家も傾いてはいないので、平気で昼間は出入りしているし、朝夕地滑り計をチェックはしているものの専門的判断はできません。結局自分の判断での「自主避難」を続けているのですが、本当は役場に行って情報を得る必要があるでしょう。忙しくて暇がないというだけのことなのですが、情報サイトの管理者としては失格ですね。 もしかしたらこの読者の方には、八坂村での台風災害の状況についてまとまった情報が欲しいと思っている方もあるかもしれません。それを次の村の広報が出る前に提供することができるとしたら、やっぱりここしかないのでしょうか。いや村の広報が出るまで待っても良いのかも? |
このエントリのトラックバックURL
http://yasakamura.net/modules/weblog/weblog-tb.php/4