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うぇブログ - yuniさんのエントリ
 yuniさんのエントリ配信

最新エントリ
2005/12/31
カテゴリ: むらのこと : 

執筆者: yuni (3:50 pm)
今日31日気が付いたのですが、いつのまにか消滅しました(たぶん閉庁の日)

ここしばらく実質的には機能してませんでしたが、最終更新は11月1日だった模様。人口統計が更新されていました。

なおトップページ以外は残っているので、googleで八坂村を検索して
キャッシュから表示されるトップページからはリンクされています。


美麻村のホームページは現時点では存続しています。
2005/12/28
カテゴリ: むらのこと : 

執筆者: yuni (6:38 pm)
合併三日前にして、役場、保育園、診療所など公共施設の案内板は新市のものに変えられました。

元日に仕事したくない気持ちはわかりますが・・・

2005/10/31
カテゴリ: むらのこと : 

執筆者: yuni (11:17 pm)
先頃中央地区の自治振興会をどうするかについての話し合いがありました。

役場の地区担当(地区出身が2名ほか3名)からの原案が示され、結局それに沿って行うという結論になりました。

なにしろ30世帯しかいない小規模地区ですから、いろいろ議論したところで、誰が動けるのかというのは決まっています。

公民館の分館役員がそのまま自治振興会の役員になるという方向になりました。会長はとりあえず地区選出の議員が務め、副会長が分館長です。

私は文化部長ですから、自治振興会でも○×部長になる可能性が大いにあります。

各集落(現自治会)からは、それぞれの事情で(まわり持ちなど)選出された連絡員が出ます。
これはいわば文書配布係のようなもので、役員とは別の務めとみなされています。

集落側から見た場合には、ほとんどいまと変わらない体制が保たれながら、村の側から見ればあたらしい地域自治の組織ができたという構造です。

ただ公民館分館は行事をこなすことを主な務めとしていたのに対し、自治組織のになうべきものはより広範になります。

行事は分館への助成金があってできていたわけですが、今後はこうした資金は無くなります。

いままで分館で集めていた館費にかわって、自治振興会の会費を徴収することになりますが、値上がりは避けられません。

もちろん行事の見直しは必須でしょうが、資金の無い中でも、自治活動の中核となる事業が必要になってきます。しかし、集落連合でしかない中央地区に、共通の産業的あるいは文化的基盤はないのです。



地区によっては集落からの連絡員で役員を構成するなど、公民館とは別立てで行こうとしているところもあるようです。

八坂全体の自治組織も、現在の村議会に近い顔ぶれになるのか、それともより公民館的にものになるのか。

役場では今後は公民館が核となるべきという考えのようですが、いままで八坂公民館という実体がなかったので、まだイメージがはっきしてきません。
2005/08/26
カテゴリ: むらのこと : 

執筆者: yuni (12:53 am)
要するに、話し合っても結果は同じだから。
というのが、役場の考え方でした。

地域自治組織について、検討委員会をつくらなかったわけ。
役場で全部検討して原案を示して。ちょっと質問をうけつけて。

それで文句を言う人はいませんでした。

「自治会長手当とかがなくなって、みんなでボランティアでやるってことかい」

という言葉に住民の気持ちは代表されています。

地域自治について、あまり期待も希望も考えていません。

でも、現実の厳しさもにもまだ気が付いていません。

毎週の会議なんてウンザリかもしれませんが、
美麻村の人たちのように、苦労して制度をつくったほうが、
きっと後の結果は違ってきます。


意見があるならなら、対案を出せと言われました。

私の対案も役場の案と違いはないかもしれません。

でも、こういうことこそプロセスが大事なのでは?

これから各地域ごとに地域振興会設立準備金として総額1200万円が配られます。1人あたり1万円です。

何に使いましょうか。
2005/08/02
カテゴリ: むらのこと : 

執筆者: yuni (2:35 am)
明野夏祭り。今年はお客さんとしてではなく、なんとステージに上がって歌ったり演奏したりしてしまった。

「木実の森」をこの場所につないだ役として、その経過などを紹介して欲しいと言われたのだけれど、話すだけではどうもうまく伝えられないと思ったので、木実の森と出会って、私がいちばん感じたこと、その意味を伝えようとしたのだ。

つまり、音楽を自分でもう一度やってみようと思ったということ。

棚田のコンサートからはじまって、今日のステージまでそれは一貫している。

そして、木実の森は、またやってくれた。
自らの舞台に、クラリネットを吹く中学生と太鼓を叩くパン屋さん、どちらも明野の人だが、舞台の直前に交渉して、ちょっと練習もして、いきない参加させてしまったのだ。


明野の夏祭りは、イベントの自給自足みたいなものだ。

誰に頼まれるわけでもなく、自分たちからやりたいことを持ち寄って、お祭りをつくりあげる。

日本各地や、八坂のあちこちから、寄り集まった人たちによる、新しい集落ならではの、自由な空気と、なんと言っても八坂でいちばん子どもが多いという元気さが、こんな楽しいお祭りを生み出すことができたのだろう。

でも、たぶんその昔、新しい時代の風を感じて、旧来の「むら祭り」に獅子舞や踊りというアトラクションを採り入れはじめたときには、八坂のむらじゅうに、そんな元気が満ちていたのではないだろうか。

そんなお祭りが、多くの「むら」で、維持するのが精一杯というところにまで来てしまっている。

いろんなスタイルがあって当然だけれど、やっぱりお祭りは楽しいほうが良い。

楽しいことが、少しずつでも積み重なって、この地で暮らして来て良かったな、これからも暮らして行きたいなという気持ちを生み出していく。

最後にみんなで歌った「ふるさと」、明野が私たちの故郷だということを、せめてこの瞬間だけは共有したい、そんな気持ちが伝わってきた。

「志を果たして、いつの日にか帰らん」

明野の子どもたちも、いずれはこの村を出ていくのかもしれない。たしかに志を果たすには、「むら」は狭すぎるという気はする。

でも、志をもってこの地にやってきた人もいるのだ。

「むら」は出ていくべきところではなく、遠くにありて想うだけのものでもない。

「いま・ここ」に生活が続いている場所でもあるのだ。

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