うぇブログ - 最新エントリ |
最新エントリ配信 |
最新エントリ
2005/08/26
カテゴリ: むらのこと :
執筆者: yuni (12:53 am)
|
要するに、話し合っても結果は同じだから。 というのが、役場の考え方でした。 地域自治組織について、検討委員会をつくらなかったわけ。 役場で全部検討して原案を示して。ちょっと質問をうけつけて。 それで文句を言う人はいませんでした。 「自治会長手当とかがなくなって、みんなでボランティアでやるってことかい」 という言葉に住民の気持ちは代表されています。 地域自治について、あまり期待も希望も考えていません。 でも、現実の厳しさもにもまだ気が付いていません。 毎週の会議なんてウンザリかもしれませんが、 美麻村の人たちのように、苦労して制度をつくったほうが、 きっと後の結果は違ってきます。 意見があるならなら、対案を出せと言われました。 私の対案も役場の案と違いはないかもしれません。 でも、こういうことこそプロセスが大事なのでは? これから各地域ごとに地域振興会設立準備金として総額1200万円が配られます。1人あたり1万円です。 何に使いましょうか。 |
2005/08/02
カテゴリ: むらのこと :
執筆者: yuni (2:35 am)
|
明野夏祭り。今年はお客さんとしてではなく、なんとステージに上がって歌ったり演奏したりしてしまった。 「木実の森」をこの場所につないだ役として、その経過などを紹介して欲しいと言われたのだけれど、話すだけではどうもうまく伝えられないと思ったので、木実の森と出会って、私がいちばん感じたこと、その意味を伝えようとしたのだ。 つまり、音楽を自分でもう一度やってみようと思ったということ。 棚田のコンサートからはじまって、今日のステージまでそれは一貫している。 そして、木実の森は、またやってくれた。 自らの舞台に、クラリネットを吹く中学生と太鼓を叩くパン屋さん、どちらも明野の人だが、舞台の直前に交渉して、ちょっと練習もして、いきない参加させてしまったのだ。 明野の夏祭りは、イベントの自給自足みたいなものだ。 誰に頼まれるわけでもなく、自分たちからやりたいことを持ち寄って、お祭りをつくりあげる。 日本各地や、八坂のあちこちから、寄り集まった人たちによる、新しい集落ならではの、自由な空気と、なんと言っても八坂でいちばん子どもが多いという元気さが、こんな楽しいお祭りを生み出すことができたのだろう。 でも、たぶんその昔、新しい時代の風を感じて、旧来の「むら祭り」に獅子舞や踊りというアトラクションを採り入れはじめたときには、八坂のむらじゅうに、そんな元気が満ちていたのではないだろうか。 そんなお祭りが、多くの「むら」で、維持するのが精一杯というところにまで来てしまっている。 いろんなスタイルがあって当然だけれど、やっぱりお祭りは楽しいほうが良い。 楽しいことが、少しずつでも積み重なって、この地で暮らして来て良かったな、これからも暮らして行きたいなという気持ちを生み出していく。 最後にみんなで歌った「ふるさと」、明野が私たちの故郷だということを、せめてこの瞬間だけは共有したい、そんな気持ちが伝わってきた。 「志を果たして、いつの日にか帰らん」 明野の子どもたちも、いずれはこの村を出ていくのかもしれない。たしかに志を果たすには、「むら」は狭すぎるという気はする。 でも、志をもってこの地にやってきた人もいるのだ。 「むら」は出ていくべきところではなく、遠くにありて想うだけのものでもない。 「いま・ここ」に生活が続いている場所でもあるのだ。 |
2005/08/02
カテゴリ: むらのこと :
執筆者: yuni (2:04 am)
|
7月29日、各種団体むけの地域自治組織説明会の最終日として、交通安全協会の役員への説明会があり、私も集落役員ということで、案内が来たので参加してみた。 八坂村としては、地域自治組織をどのようにするかということについて、庁内だけで検討し、結果を、村内の各種団体の代表者に説明したうえで、今後は地区ごとに住民説明会をするという段取りのようだ。 説明会であって懇談会ではない。つまり決定事項の伝達で、その場で意見を聴くことはするが、基本的に内容を変えるつもりはないらしい。 で、その内容とは、 簡単に言えば、現状の、自治会、公民館、道路愛護会、交通安全協会、育成会、防犯協会、など諸々の団体を、旧学区(公民館の分館)単位に設立する「地域振興会」に統合するということだ。 従来の各種団体は、各地域振興会内の部会という形で再編する。 そして、6つの地区の地域振興会から各2名の代表者が出て、地域振興会議を構成する。 さらに、消防団や商工会など現在の活動を継続する団体の代表が、団体調整会議というのを構成する。 この二つの会議のメンバープラス若干の公募委員が、市長の委嘱する地域づくり委員会の委員になるということらしい。 地域づくり委員会は実質的には八坂公民館と一体のものとなり、委員長は、公民館長を兼ねる。 この地域づくり委員会こそが、実質的に合併後の八坂地区の代表として、新市の本部組織との対応にあたり、さらに市長に対しても直接の働きかけをするという。 地方自治法に定められた、地域審議会とは違う、市独自の条例によるものなので公的性格は曖昧だ。 役場の説明では、地域自治組織(特に末端における地域振興会)は、 ・行政の公的業務の補完機能として文書配布や選挙事務など「自治」活動を行う機能と、 ・産業や文化の振興など自主的活動(地域づくり)の担い手とななる機能 を併せ持つものと考えているそうだ。 背景説明としては、過疎化高齢化にともない、現状のような数多くの団体を維持することは困難になるので、組織を一本化して、少ない人数で多くの役割を担っようにすることで、現状の八坂村の「自治」組織をできるかぎり維持していこうということがあるという。 設立準備段階(つまり合併前)に総額1200万円の助成金を用意しているということで。 さらに、役場の全職員を出身地域ごとに6つの振興会に配置し、組織の設立を支援することになるという。 これらの仕組みは、概ね広島県の安芸高田市に合併した旧高宮町でのとりくみを参考にして組み立てたものだそうだ。 「ぜひとも、地域が一丸となって「自治」活動を行うようにお願いします。」 というのが、総務課長の締めの言葉だった。 合併問題のときのような住民参加による地域自治組織の検討をしなかった理由については、一切触れられなかった。(どうやら村長が断固拒否したということらしい) 広島県の高宮町では20年越しの地域活動の末に、合併にむけてこのような組織再編を行ったということだが、八坂村の場合は、これから半年でこれを組み立てるのである。 八坂にはすでに自治活動は充分あるので、あえて議論して、何か新しいものをつくるような必要はなく、ただ組織の組み替えでいいのだという論理もあるという。 八坂住民全体の気持ちなど、私にはわからないけれど、少なくとも私の知っている多くの住民、特に合併問題検討委員会などでそれなりに活動していた人たちは、正直言って、今気持ちが冷め切っている。 「八坂村役場相手に、何か言っても意味が無いし、どうせ役場が勝手に決めるだけだろう。」そして、そのとおりになったわけだ。 自治活動は、住民自らが自発的に行う部分と行政組織の補完機能の両面を持つというのは、あくまで役場側からの発想だが、 実際面では、自主活動はともかく、行政補完機能だけはやってもらわないと困るわけで「お願いします」ということになるのだろう。誰もお願いされて自主活動をする者はないだろうから。 八坂の住民でどれだけの人が、合併後の八坂地区を守るために自治組織をつくって頑張らなければならないと考えているのだろうか。 住民が地域をまもる自治活動には、まず自らの地域を自らが創り上げるという意識がなければならないと思うし、そのために何が必要なのかという、具体的な課題がなければならない。組織が先にあっても、内容がともなわなければ、空回りである。 実際に、八坂村に依存して生きる住民は、とても少ないという現状を、圧倒的に八坂村に依存して生きている、役場職員は気が付いているのだろうか。 一方で、八坂の住民ではないけれど、八坂を自らの拠り所として生きている、大町市民や松川村民、東京都民さえもいることも忘れていないだろうか。 私の立場は、いまや明快だ。 私は、私の家族と隣近所と、この村で出会った、これから出会う全ての人とかかわりながら、この「むら」での生活を続けていきたい。 だから、役場の提案する組織も「あっても良い」と思うし、それなりに協力する気持ちはあるけれども、それよりも、自らの生活をこの「むら」でいかに築いていくかということに、一番関心がある。 たぶん、ほとんどの人は、どの地域に暮らしていようと、だいたいにおいて、自分の生活に一番関心があるものではないだろうか。その生活を成り立たせる要素の一つが「地域」であるし、それがとても重要だということはわかっていた方が良い。誰もひとりでは生きていけないのだから。 でも「地域活動を盛り上げてください」と頼まれてできることと、本当に自分たちがやりたいと思ってやることは違ってくるはずだ。 全員参加の地域活動などというのは「結果」としてはあり得るかもしれないが、最初から「お願い」されても困る。 |
2005/07/17
カテゴリ: むらのこと :
執筆者: yuni (10:49 pm)
|
7月16日、午前中、八坂村商工会http://yasakamura.sakura.ne.jp/modules/mylinks/visit.php?cid=&lid=4 のクリーンキャンペーンでした。 この日は、建設業組合からの参加もあり、大勢の参加となりました。いま八坂村では災害復旧関連の工事が至るところで行われているために、全部で19社もの工事業者が入っているとのこと、この不況のなかで八坂はいま建設銀座とさえ呼ばれているのです。建設業者にとってはこうした地域でのボランティア活動も重要な「仕事」ですから、現場を休んで大勢の参加があったのも当然です。 建設業組合は県道のゴミひろい。建設以外商工会会員は、コミュニティーセンターアキツの周囲の草刈りをしました。 アキツのとなりの体験館では、毎週金曜〜日曜の3日間、商工会の運営による、ソバ屋をはじめたので、いままでになくアキツ周囲の環境整備に力を入れることになりました。 終了後、そのソバ屋でソバを食べながらの慰労会。集まってあらためて驚いたのですが(もちろん知ってはいましたが)、八坂村商工会に所属する企業の社長さんたち、八坂村外に暮らしている人が大多数なのです。 ある程度お金ができれば、大町や松川などに土地を買って家を建てるのがあたりまえの村ですから、まして社長ともなればある意味当然とも言えるんでしょうが。町で暮らして村に働きに来るというライフスタイルが案外定着しているのです。 村がそんなに暮らしにくいということは無いと思うのですが、やっぱり家を建てるなら、平らな雪の少ないところが良いに決まってるという考えはそれなりにわかります。(あえて不便なボロ家に住む私のような人間のことも、不思議がりつつもそれなりに認めてくれてはいます) 村外に暮らしていても会社の所在地は八坂村ですから、意識としては村民です。合併後も、商工会は1年間は存続するものの、その後のことは決まっていません。(現実的には存続は困難です) それぞれの会員としても、市の商工会議所に入るかどうか、考え方は分かれるようです。 村に暮らしてはいないが村への帰属意識をもっている人たちが、しかも企業の経営者のような人たちが相当数いるということは、地域の今後にとってどういう効果をもたらすのか。 もちろんみんな、合併後の八坂のことを心配しています。 今回はじめたソバ屋にしても、なんとか続けていきたいと考えているし、明日香荘やさざなみが無くなるようなことがあっては困ると思っています。人口がこれ以上減ってはやっていけないということもわかっています。 そしてなにより、地域が続いて行くためには、地域の産業が不可欠だということを、いちばんわかっているのが経営者たちなのです。 そのあたりが役場の人たちよりもより具体的で切実な問題として捉えられているような気がします(役場の職員の大多数は住民ですが) むらの存在価値を活かす新しい事業の必要性を考え、もしも何かをはじめるとしたら、やはり商工会の会員企業の経営者たちがいちばん近いところにいます。建設業が主ですから、地域の将来への不安と自らの事業への不安はまったく重なっているのです。 企業人としては住民でも個人としては住民ではない。ちょっと不思議な感じでもありますが、八坂の将来を考えるときに欠かせない人たちであることはまちがいありません。 商工会では、これから具体的に合併後のことを検討しはじめるとのこと、実質的には役員会レベルで動くのでしょうか。合併後1年の猶予期間があるとは言え、ちょっと遅いような気もします。私も一会員企業の代表として、それなりに無い知恵と頼りない労力を提供するつもりはあります。 |
2005/07/17
カテゴリ: むらのこと :
執筆者: yuni (9:32 pm)
|
だいぶ日がたってしまったけれど、いまだに印象に残っているので、やっぱり書くことにします。 7月10日の大北地区の消防団、ポンプ奏法大会・喇叭吹奏大会、毎年これが終わるまでは、ほかの行事など控えるというくらいに、大変な行事なのです。 ポンプ奏法は、市町村の予選を勝ち抜いたチームが出るというのが本来らしいのですが、八坂は分団のまわりもち。今年は分団再編で中央と切久保から構成された第2分団、本来なら中央分団の順番だったわけですが、切久保で去年出た選手が2年連続で出ることに。八坂村消防団としての有終の美を飾るにふさわしいようにという配慮だったのでしょうか。 以前は連休あけくらいから練習をしたそうですが、今年は5月末から、それでも週2回の練習をつづけていました。ほかの村では週5日練習しているところもあるそうですが・・。 消防本来の任務からいえばポンプの操作が安全確実にできればいいわけで、それから先はまったく競技の領域に入っていきます。そこにはそれなりの世界はあることは以前にも書きましたが・・・ 結果は7市町村中の5位。採点は減点法ですからしかたないのですが、少なくとも参加した選手と応援に行った団員の視点では、文句の言いようが無い出来でした。 喇叭隊は15名を揃えるのも大変という状況のなか、毎年出ているわけで、練習も通年でやるということで、それは大変なことです。 しかもポンプと違って、消防の任務という意味でいえば、その意義はいまやきわめて曖昧です。無線の無かった時代には、災害現場での伝達手段だったわけですが、いまでは「放水はじめ」の喇叭の意味を理解できる一般団員はほとんどいないでしょう。 現実には式典などの場でしか活躍の場はない消防喇叭。音楽としてはあまりに限定されたもので、やはり競技の一種なんでしょうか。 いずれにせよ、消防の大会自体が、その競技というありかたも含めて一種の民俗文化財的なものかもしれません。価値を認めるかどうかは別として。 ただし、今回の八坂の喇叭隊は、いままでとはちょっと違った趣がありました。合併後もポンプ奏法大会(大町市の予選会)へは、大町市消防団の一分団として出場することはほぼ確実ですが、喇叭については、八坂の分団として喇叭隊を維持することは相当に困難で、もしかしたらこれが最後かもしれないという思いがあったからかもしれません。 順位は5位でしたが、その演技内容には多くの人が心をうたれたと語ったように、技術を越えて、なにかひとつのことを表現しようという気持ちがあらわれていました。 消防団の暑い夏が終わり、そろそろ梅雨明け。 |