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2005/10/20
カテゴリ: わたしくごと :
執筆者: yuni (10:45 pm)
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稲刈りイベント以来、新しい情報を書くことができていません。 村民運動会特集とか考えていろいろ写真を撮ったりもしてみたのですが、 なかなか時間がとれません。 我が家の稲刈りは今日ようやく終わりました。田植えも1ヶ月遅れでした。 作柄は田植えが遅れすぎた一部を除いて良好でした。(八坂の棚田のサイトで紹介されている写真は我が家の田んぼではありません。) サイトのメンテナンスはやはりブロードバンドでないと厳しいのですが、合併前には大改造をしたいと思っています。 合併も地域自治組織も、なんだかやっつけ仕事で動いているような空気が伝わってきます。すべては合併後に先送りされて、やってみないとわからないという雰囲気が広まっています。 やさかむら.netは、そんな空気と無関係で単に管理人が怠けているだけです。 |
2005/08/26
カテゴリ: むらのこと :
執筆者: yuni (12:53 am)
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要するに、話し合っても結果は同じだから。 というのが、役場の考え方でした。 地域自治組織について、検討委員会をつくらなかったわけ。 役場で全部検討して原案を示して。ちょっと質問をうけつけて。 それで文句を言う人はいませんでした。 「自治会長手当とかがなくなって、みんなでボランティアでやるってことかい」 という言葉に住民の気持ちは代表されています。 地域自治について、あまり期待も希望も考えていません。 でも、現実の厳しさもにもまだ気が付いていません。 毎週の会議なんてウンザリかもしれませんが、 美麻村の人たちのように、苦労して制度をつくったほうが、 きっと後の結果は違ってきます。 意見があるならなら、対案を出せと言われました。 私の対案も役場の案と違いはないかもしれません。 でも、こういうことこそプロセスが大事なのでは? これから各地域ごとに地域振興会設立準備金として総額1200万円が配られます。1人あたり1万円です。 何に使いましょうか。 |
2005/08/21
カテゴリ: 季節のたより :
執筆者: yuni (10:57 pm)
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「木実の森」http://kimimori.com/ が、最初に八坂にやってきたのは、今年の5月14日、田植えのときでした。 ライヴをやりに来たついでに田植えではなく、田植えに来てせっかくだから歌っていくというノリで、しっかり植えて、もちろんしっかり歌って。 その翌日には、急遽、相川のジンジャーマンでライヴ(木実の森は「うた会」と呼んでいます)をしました。 こうしてはじまった、木実の森とやさかとのつき合い。 7月には、田んぼの草取り、そして明野夏祭り。 そして、今度の「うた会」が実現したのでした。 やさかが本当に気に入ってくれて、季節の変化を感じながら、これからも毎月のように通い、いろいろなカタチで歌をうたってみたいというのです。 さて、今回のジンジャーマンでの「うた会」はじめて入場料ありの本格ライヴということでしたが、八坂の外からも多くの参加があり、小さな空間で、木実の森のきわめてオリジナルな世界が展開しました。 素朴で、優しくて、楽しくて、時に激しく、鋭い・・ 音楽を言葉で表現するのは難しいのですが、いまここでしかない歌の空間が生まれました。 私の気持ちとしては、ファンというよりは仲間という感覚で、これからもいろいろな場面で、一緒に活動していきたいと思っています。 来月は稲刈りに来ます。 いっしょに音楽を楽しみましょう。 木実森が去って、八坂はもう秋です。 |
2005/08/02
カテゴリ: むらのこと :
執筆者: yuni (2:35 am)
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明野夏祭り。今年はお客さんとしてではなく、なんとステージに上がって歌ったり演奏したりしてしまった。 「木実の森」をこの場所につないだ役として、その経過などを紹介して欲しいと言われたのだけれど、話すだけではどうもうまく伝えられないと思ったので、木実の森と出会って、私がいちばん感じたこと、その意味を伝えようとしたのだ。 つまり、音楽を自分でもう一度やってみようと思ったということ。 棚田のコンサートからはじまって、今日のステージまでそれは一貫している。 そして、木実の森は、またやってくれた。 自らの舞台に、クラリネットを吹く中学生と太鼓を叩くパン屋さん、どちらも明野の人だが、舞台の直前に交渉して、ちょっと練習もして、いきない参加させてしまったのだ。 明野の夏祭りは、イベントの自給自足みたいなものだ。 誰に頼まれるわけでもなく、自分たちからやりたいことを持ち寄って、お祭りをつくりあげる。 日本各地や、八坂のあちこちから、寄り集まった人たちによる、新しい集落ならではの、自由な空気と、なんと言っても八坂でいちばん子どもが多いという元気さが、こんな楽しいお祭りを生み出すことができたのだろう。 でも、たぶんその昔、新しい時代の風を感じて、旧来の「むら祭り」に獅子舞や踊りというアトラクションを採り入れはじめたときには、八坂のむらじゅうに、そんな元気が満ちていたのではないだろうか。 そんなお祭りが、多くの「むら」で、維持するのが精一杯というところにまで来てしまっている。 いろんなスタイルがあって当然だけれど、やっぱりお祭りは楽しいほうが良い。 楽しいことが、少しずつでも積み重なって、この地で暮らして来て良かったな、これからも暮らして行きたいなという気持ちを生み出していく。 最後にみんなで歌った「ふるさと」、明野が私たちの故郷だということを、せめてこの瞬間だけは共有したい、そんな気持ちが伝わってきた。 「志を果たして、いつの日にか帰らん」 明野の子どもたちも、いずれはこの村を出ていくのかもしれない。たしかに志を果たすには、「むら」は狭すぎるという気はする。 でも、志をもってこの地にやってきた人もいるのだ。 「むら」は出ていくべきところではなく、遠くにありて想うだけのものでもない。 「いま・ここ」に生活が続いている場所でもあるのだ。 |
2005/08/02
カテゴリ: むらのこと :
執筆者: yuni (2:04 am)
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7月29日、各種団体むけの地域自治組織説明会の最終日として、交通安全協会の役員への説明会があり、私も集落役員ということで、案内が来たので参加してみた。 八坂村としては、地域自治組織をどのようにするかということについて、庁内だけで検討し、結果を、村内の各種団体の代表者に説明したうえで、今後は地区ごとに住民説明会をするという段取りのようだ。 説明会であって懇談会ではない。つまり決定事項の伝達で、その場で意見を聴くことはするが、基本的に内容を変えるつもりはないらしい。 で、その内容とは、 簡単に言えば、現状の、自治会、公民館、道路愛護会、交通安全協会、育成会、防犯協会、など諸々の団体を、旧学区(公民館の分館)単位に設立する「地域振興会」に統合するということだ。 従来の各種団体は、各地域振興会内の部会という形で再編する。 そして、6つの地区の地域振興会から各2名の代表者が出て、地域振興会議を構成する。 さらに、消防団や商工会など現在の活動を継続する団体の代表が、団体調整会議というのを構成する。 この二つの会議のメンバープラス若干の公募委員が、市長の委嘱する地域づくり委員会の委員になるということらしい。 地域づくり委員会は実質的には八坂公民館と一体のものとなり、委員長は、公民館長を兼ねる。 この地域づくり委員会こそが、実質的に合併後の八坂地区の代表として、新市の本部組織との対応にあたり、さらに市長に対しても直接の働きかけをするという。 地方自治法に定められた、地域審議会とは違う、市独自の条例によるものなので公的性格は曖昧だ。 役場の説明では、地域自治組織(特に末端における地域振興会)は、 ・行政の公的業務の補完機能として文書配布や選挙事務など「自治」活動を行う機能と、 ・産業や文化の振興など自主的活動(地域づくり)の担い手とななる機能 を併せ持つものと考えているそうだ。 背景説明としては、過疎化高齢化にともない、現状のような数多くの団体を維持することは困難になるので、組織を一本化して、少ない人数で多くの役割を担っようにすることで、現状の八坂村の「自治」組織をできるかぎり維持していこうということがあるという。 設立準備段階(つまり合併前)に総額1200万円の助成金を用意しているということで。 さらに、役場の全職員を出身地域ごとに6つの振興会に配置し、組織の設立を支援することになるという。 これらの仕組みは、概ね広島県の安芸高田市に合併した旧高宮町でのとりくみを参考にして組み立てたものだそうだ。 「ぜひとも、地域が一丸となって「自治」活動を行うようにお願いします。」 というのが、総務課長の締めの言葉だった。 合併問題のときのような住民参加による地域自治組織の検討をしなかった理由については、一切触れられなかった。(どうやら村長が断固拒否したということらしい) 広島県の高宮町では20年越しの地域活動の末に、合併にむけてこのような組織再編を行ったということだが、八坂村の場合は、これから半年でこれを組み立てるのである。 八坂にはすでに自治活動は充分あるので、あえて議論して、何か新しいものをつくるような必要はなく、ただ組織の組み替えでいいのだという論理もあるという。 八坂住民全体の気持ちなど、私にはわからないけれど、少なくとも私の知っている多くの住民、特に合併問題検討委員会などでそれなりに活動していた人たちは、正直言って、今気持ちが冷め切っている。 「八坂村役場相手に、何か言っても意味が無いし、どうせ役場が勝手に決めるだけだろう。」そして、そのとおりになったわけだ。 自治活動は、住民自らが自発的に行う部分と行政組織の補完機能の両面を持つというのは、あくまで役場側からの発想だが、 実際面では、自主活動はともかく、行政補完機能だけはやってもらわないと困るわけで「お願いします」ということになるのだろう。誰もお願いされて自主活動をする者はないだろうから。 八坂の住民でどれだけの人が、合併後の八坂地区を守るために自治組織をつくって頑張らなければならないと考えているのだろうか。 住民が地域をまもる自治活動には、まず自らの地域を自らが創り上げるという意識がなければならないと思うし、そのために何が必要なのかという、具体的な課題がなければならない。組織が先にあっても、内容がともなわなければ、空回りである。 実際に、八坂村に依存して生きる住民は、とても少ないという現状を、圧倒的に八坂村に依存して生きている、役場職員は気が付いているのだろうか。 一方で、八坂の住民ではないけれど、八坂を自らの拠り所として生きている、大町市民や松川村民、東京都民さえもいることも忘れていないだろうか。 私の立場は、いまや明快だ。 私は、私の家族と隣近所と、この村で出会った、これから出会う全ての人とかかわりながら、この「むら」での生活を続けていきたい。 だから、役場の提案する組織も「あっても良い」と思うし、それなりに協力する気持ちはあるけれども、それよりも、自らの生活をこの「むら」でいかに築いていくかということに、一番関心がある。 たぶん、ほとんどの人は、どの地域に暮らしていようと、だいたいにおいて、自分の生活に一番関心があるものではないだろうか。その生活を成り立たせる要素の一つが「地域」であるし、それがとても重要だということはわかっていた方が良い。誰もひとりでは生きていけないのだから。 でも「地域活動を盛り上げてください」と頼まれてできることと、本当に自分たちがやりたいと思ってやることは違ってくるはずだ。 全員参加の地域活動などというのは「結果」としてはあり得るかもしれないが、最初から「お願い」されても困る。 |