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2005/06/12
カテゴリ: むらのこと :
執筆者: yuni (11:24 pm)
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今日は、消防団の幹部訓練だった。 私は「幹部」ではないが救護員なので、一緒に参加した。 幹部規律訓練+ラッパ吹奏訓練+救護訓練なのだ。 救護員は楽だ。救急救命法の講義を聴いて、ダミー人形あいてに人工呼吸と心臓マッサージの実技をやればいい。 2年ほど救護員からはずれていたので、久々に参加したのだが、人形の仕様が少し変わっていたし手順もいくらか改訂されていたので、参考にはなった。 一般の幹部の人たちは、規律訓練である。今日は午前中暑かったので、炎天下で法被をきて行進をするのは大変だったと思う。 関心したのは、ポンプ操法の講習会。指導者の力というのはたいしたもので、目の前で誰にもわかるほど、指導の効果があらわれて選手たちの動きがよくなっていくのだ。 私は、どうしてもポンプ操法大会に情熱を燃やす気にはなれないが、そこにはそこなりの世界があり、タイムとカタチの美しさを競う「競技」として、きわめてマニアックではあるが奥深いものがあることはわかる。 こうした競技や、規律訓練が、実際の災害現場や、日常の防災活動にどの程度役に立つのかということは、この際問わないことにする。 (消防団は火を消せればそれで良いというモノではないらしい、というくらいのことは、想像できるだろう) 八坂村では、18歳から50歳までの男子は事実上全員参加するものとされている消防団。いままでは定員割れを補うために、ほとんど出てこない幽霊団員や、村に住民票のない団員までいたのだ。 だが、村の消防団と市の消防団はやはり違う。来年から大町市消防団の一分団となる八坂村消防団だが、いままでのような感覚では、やっていけないことは確かだ。 圧倒的に平均年齢の若い市の消防団員たち。近年定員確保が難しいという話も出てはいるが、もちろん全員参加ではないし、その在り方に今では根本的な違いがあるように思える。 本職の消防署員と同じような近代的作業服をまとう市の消防団には、村の消防団のもつ独特のファンタジックな世界はない。 伝統を拠り所に、いつまでも変わらないことを前提にいままで続いてきた村の消防団。60歳以下は若い衆に分類されるような村だからこそ、ある意味でおよそ非日常的なとりくみにもそれなりに本気でかかわってこれたのだ。 そんな村が市の一部になるというなかで、法被が作業服になるというだけでなく、たとえばこのような「訓練」に毎年黙って参加し続けてきた精神のありかたも変化していくような気がする。 |
2005/05/21
カテゴリ: 世間のこと :
執筆者: sizuka3388 (2:53 am)
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美麻村に6/30から7/5までアメリカのカリフォルニア州メンドシーノ村から大人11名子供17名の訪問団がやってきます。期間中ホームステイを大人は3泊子供は4泊します。今年は合併後を考えて相互交流し、交流事業に少しでも理解を深めてもらいたいとホームステイを大町八坂でもやってもらおうと企画しました。この広報を八坂村広報に載せてもらう企画だったのですが、発行がなぜかずいぶん遅れて掲載が残念ながら無理になったようです。大町では掲載され応募がすでに来ています。応募期限は27日ですが、八坂では希望はないでしょうか?関心があれば美麻村役場教育委員会に問い合わせてみてください。 |
2005/05/12
カテゴリ: むらのこと :
執筆者: yuni (11:00 pm)
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公民館活動というものは、八坂の普通の住民レベルでは分館での活動のことだ。分館には当然のことのように全世帯が加入するものと考えられている。 八坂村には区が無いので、明治の旧村を単位とする実質上唯一の地域組織でもある。 私も様々な村づきあいの一環として、集落のお祭り、道路愛護会などの延長のように、公民館中央分館の活動にも参加してきた。(中央とは旧大塚新田村に相当する地区。かつては役場の所在地でもあったがいまでは単に地理的に中央にあるという意味しかない。) 順番がまわってきて役員をやるようなった最近3年ほどはある程度かかわりもできたが、それ以前には、どんどやき(新年会)と村民運動会くらいにしか顔をださなかった。 いままで八坂村公民館の本館レベルの活動とは無縁だったのだが、今年度は中央分館の文化教養部長になってしまったので、はじめて分館長部長会議というのに顔をだすことになった。そこで、文化教養部の役員を決めるということになり、6分館の部長が顔をあわせて話し合った結果、私は文化部の副部長ということになってしまった。(体育部長以外はそんなに大変ではないらしい?) 公民館というのは本来は公的な社会教育機関なのだが、分館レベルでみれば、どう考えてもむらづきあいのひとつでしかない。八坂村公民館という本館組織についてはたぶん一般村民はあまりかかわることは無い。 村民運動会以外の本館主催行事に参加したことはないし、運動会の場合も分館の一員という立場なので全体はまったく見えない。 そもそも公民館本館の運営はどのようなっているのか。公民館運営協議会というのがあるので、そこが中心になっているのだろうか。分館には総会があるが本館には総会はないようだし、公民館費というのは分館に徴収されるものなので、本館の予算というのはどうなっているのか?(もちろん公民館本館という建物は存在しない) とにかくなにもわからないので、質問もしようがなかった。 合併後も八坂村公民館は、八坂公民館というかたちでほぼそのまま存続する。大町市には市全体を統合する「大町市公民館」というものは存在しないので、いままでの、平、大町、社、常盤に、八坂と美麻が加わって、全部で6つの公民館が並立することになるのだ。 昭和の合併のあと旧町村の支所が廃止されてからは、大町市の旧町村を単位とした地域組織として公民館がほぼ唯一のものとなっている。 今度の合併では、八坂と美麻にだけは、地域自治組織ができるが、公民館のありかたも、どうやらこれとリンクしたものになるらしい。 予算は減るが活動は増えるという最近の公民館の活動。分館レベルで見れば、役員にとってはかなりの負担になっているのも事実。 とにかく謎だらけの組織なのだが、本館役員になってしまったので、これからいろいろとかかわることは確実だ。 任期は2年、ちょうど合併をはさんだ時期。これって結構な大役なのかもしれない。(うっかり引き受けておいて全然自覚してないのだが) |
2005/05/11
カテゴリ: むらのこと :
執筆者: yuni (11:53 pm)
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大糸タイムスによると、八坂村役場で合併後の八坂地区にできる「地域自治組織」についての素案がまとまったらしい。素案がどのようにつくられたのか、今後村民の意見を採り入れてさらに練り上げていくつもりがあるのか、よくわからないが、正直どうでもいい気分でもある。 やさかむら.netがはじまったひとつのきっかけは、合併問題だった。 2年前。合併の話がようやく具体的に動き始めたとき。合併反対運動をやる気にはなれなかったけれど、このままでは面白くないと考えて。以前からやりたかった地域メディアというものを「新聞」スタイルではじめてみた。 同時に合併問題検討委員に委嘱されたものだから、毎日が非常に忙しくなってしまって、今ではこの中途半端な自立メディアの試みは個人の趣味レベルにまで後退している。 結局あの検討委員会は、メンバーは個性的で素晴らしかったけれど、活動はすっかり過去のものにされてしまった。「合併は急がず自立(自律)の道を模索すべき」という意見書(→参照)の結論は、単に合併反対と受け止められてしまっために、意見書本文の詳細や、検討委員会での議論の内容なども含めて、いまではほぼ顧みられていない。その議論の具体的な中身は、合併の賛否だけではなく、地域としての八坂村を盛り上げていくには何をしたらいいのかという、実に多様なアイディアの集まりだったのだが。 現在行われている役場内での地域自治組織の検討に際して、合併問題検討委員会で行われた様々な議論の成果が活かされたかどうかわからない。どうもそのような方向ではなく、既存の地域組織をどのように再編して、過疎、少子高齢化という状況のなかで、いまのかたちを継承していけるかというような、いわば組織論が中心になっているらしい。(たとえば先行して実施された消防団の分団再編において、地域の自律的な防災のありかたは特に考えられていないようだった。消防団員のもっぱらの関心事は、合併したら毎年ポンプ操法大会に出なければならないのか?というようなことでしかない。) 私は、組織形態には関心はない。地域自治の要は住民がいかに活き活きと生活していけるかということだ。生活する人がいなければ、組織など意味がない。せいぜい望むことは生活のじゃまにならない簡素な組織であって欲しいということくらいだ。 地域の自治を考えるにも、結局は生活の具体的な中身の問題が第一。この地域に暮らし続けることが楽しいと思って、自らの仕事と家庭、地域のかかわりのなかに、ここに居ることの意味を見いだせるか。 それができなければ、例えどれほど先祖伝来の財産を持っていたとしても、移動の自由、職業選択の自由が当然の社会のなかで、次の時代にこの地域を引きついでいくことなどできないのではないだろうか。 私は、新参の余所者だ。いまだかつて自らの足を置く地面を所有したことがない。でも、ここでなんとか暮らしていこうと思っているし、この地での暮らしを楽しんでいる。生活が楽しいなんて公言したら笑われるのかもしれないが。 |
2005/05/02
カテゴリ: わたしくごと :
執筆者: yuni (1:35 am)
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棚田の真ん中で、歌いました。演奏もしました。それはとっても楽しいできごとでした。 「棚田の風コンサート」と名付けて突然はじまったこの企画。言い出したのは私です。すぐに以前からやりたかったという仲間が加わり、二人で企画を進行。 私はつれあいに声をかけて、鍵盤ハーモニカとリコーダ&ギター&歌という、不思議な組み合わせのファミリーユニットを結成、何年も前から「一度はやってみたかった」曲を2曲歌いました。リコーダーは用意したのは一曲だけ、そして無謀なことにその場でリクエストに応えて即興的に演奏しました(そんなスタイルを思いついたのは当日のこと)。いずれも曲名はあえて非公開。次回もやりますから、5月14日、八坂村の梨の木棚田まで来てください。 もうひとりの企画仲間、明野のWさん一家は、自分たちのプログラムに加えて、みんなで歌えるうたの楽譜も用意してくれました。私たちは、自分たちの演奏のことでほぼ一杯でそこまで気を回すゆとりありませんでした。 もう少し当日のレポート風に書きましょう。 Wさん一家の演奏のあと、みんなで歌おうコーナーから、梨の木堰の水路整備(水あげ)に一緒に参加した、八坂小の五年生たちのうち何人かが参加してくれました。事前にはなにも準備してなかったので、なんとその場でやる曲を決め、そこにあったリコーダーと鍵盤ハーモニカを手に、練習を開始。そのまま公開練習+公開リハ+本番と、音楽が生まれる課程を全てやってくれました。 これも普通のコンサートではあり得ないことですが、やってるうちにとても楽しくなったようで、次回までにはちゃんと練習して参加したいと言っていました。 時間の都合で午後からなら来られるという人が何人かいたので、急遽午後から第二部をやることに。第2部はお客オンリーという人よりも演奏者の方が多い状態でしたが、みんなこういう場所でやってみたかったという気持ちがあったようで、とにかく楽しみました。 客観的に見れば、極小規模の音楽会なのですが、はじまりは何でもこんなモノです。今回はいくから音楽をやりそうな人たちを事前に誘ったのですが、ほとんど断られました。あまりに突然ということもあったのでしょうが、それよりも、ちゃんとした音楽活動をしていたことが有る人にとっては、田んぼの真ん中で歌うなんてイメージがわかなかったのかもしれません。 実は私が歌ったり笛を吹いたりするという姿は、ここに来て10年にもなるのに八坂村ではまったく公開したことがありませんでした。それを見て、何事?という不思議な顔をして遠くから見ていた小学生の親たちもいました。 今回、やってみてわかったことは。実は、これが私のやりたかった事だということです。合併問題がきっかけになって、村の検討委員を委嘱された傍らで、地域情報紙をつくってみたり、コミュニティーサイトまがいのことをやったり、本業のかたわら、八坂という地域でこれからもみんなで楽しく暮らしていくことを願って、いろんなことをやってみましたが、結局私としてはいまひとつピンとこないかんじでありました。 これからも、地域自治組織のこととか、いろいろあるとは思います。美麻村では本当に熱心な地域活動が続いています。そんななかで、私はなにをすればいいのかいろいろ思考錯誤です。でも、結局は自分流にしかできないのです。 地域で生活し続けるために何をするか。それは、自分の考えに会う仕事をみつけてちゃんと働くこと。隣近所の人たちと仲良くやっていくこと。そして、みんなが楽しめるような何かを創り出すこと。 他人の評価はともかく。私はかなり音楽が好きです。 5月14日は、さらに本気で企画をすすめています。また私たちもやります。このような気持ちを後押してくれた直接のきっかけは、名古屋で活動する「木実の森」という、純粋アコースティック系の素敵な歌うひととの出会いでした。とってもまっすぐな歌への志をもっていて、テーマは「地球」と言うのです。棚田で歌ってくれたら、それは楽しいことになりそうじゃないですか。 |