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2005/06/19
カテゴリ: むらのこと :
執筆者: yuni (9:50 pm)
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今日午後は、一ノ瀬集落の道路愛護会の作業でした。 八坂村公共土木施設愛護会一ノ瀬支会というのが正しい名称ですが、 普通は愛護会と呼び、つまり集落の草刈りなど共同作業のこと、年4回あり今日は今年の2回目。 普段は一ノ瀬に暮らしていない人も3名来てくれたおかげで、草刈り機が揃ったこと、午前中にかなり刈った人がいたこと、中学生のガードレール磨きボランティアの関係で、中学校の先生が一部を刈ってくれたこと、などなどで、作業は1時間半ほどで終わりました。普通なら3時間近くかかることもあります。 恒例で、作業後は集会場で一杯があります。暑かったのでビールが嬉しかった。今年の役員さんは高齢ということもあって、普段村外で暮らす息子が実際のことをやっているために、第1回は作業後の集まりは無しでした。村中で集まったのは4月末の春祭り以来ということもあり、いろんな話題で結構もりあがりました。 支会活動には補助金が出ているのですが、これが燃料費や飲物代などに使われています。以前よりは金額が下がっているものの、充分すぎる額です。 今後さらに減額されることがあったとしても、この活動そのものは人が暮らす限りは続いていくことでしょう。昔からの道普請の伝統を引き継ぐ、むらにとっては大切な行事でもあるからです。 もしこれを業者に発注すればかなりの費用になるでしょう。こうしたことが、具体的なカタチとしての地域自治活動です。 去年私は道路愛護会の役員だったので、年4回の作業の段取りをしたり、作業後の集まりの準備をしたり、結構たいへんだったのですが、意味のあることで苦労してもそれほど負担感はありません。ただ村で暮らしていない人にとっては、かなりの負担になるとは思います。 高齢化によって集落の自治活動を続けていくことが難しいと言われるのですが、一ノ瀬に限って言えば、村を出た若い衆(といっても40代〜)がそのときだけでも戻ってきてくれるので、何とか成り立っています。もっとも親が暮らしているから来るということもあるので、この体制がいつまでも続くかどうかはわかりません。 やはりその地に生活している人がいてこその、地域活動ですから。10数年後を考えると、もしかしたら、我が家だけで全ての作業をしなければならなくなるかもしれません。 |
2005/06/15
カテゴリ: むらのこと :
執筆者: yuni (9:22 pm)
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http://blog.livedoor.jp/takeyamanokaze927/tb.cgi/25177955 へトラックバックしながら・・八坂って、 美麻村で自治組織づくりの準備委員会が出来るようですが、 八坂村では閉村式の日程が12月27日とほぼ決まった模様。 御用納め前に済ませるということですね。 残る4日間に宿直やる人はちょっと気の毒かも。 「婚姻届け」とかこの4日間に出したら嫌がらせっぽいでしょうか? 今年は小学六年生が田んぼをやらないことの理由のひとつに、閉村式関連で忙しいのでという話もありました。(田んぼは本来5年生がやるものなので、カリキュラムに変更があったわけではありません、念のため) 立派な思い出に残る閉村式を演出するということなのでしょうか。 まさか総合プロデューサーに有名人をお願いしたりしてないですよね。 式典に興味はありまえんが、一応地域メディアとしては取材に行くことにしたいと思います。 なお地域自治組織については引き続き庁内で検討を進めているそうです。 このあたりが何とも八坂らしい。 有終の美を飾るのは、役場の仕事です。 ところで、八坂での地域自治組織ですが、皆さんあまり関心がないようです。 役場もいまの雰囲気では、検討委員会のようなものを設置することもなく、こんな感じで行いますという「説明会」で済ませるつもりかも。 検討委員会は合併問題で懲りたということでしょうか、村長も村民にもやる気がいまひとつ出てこない。 八坂ではすでに地域の自治組織(自治会、公民館など)はあるので、合併にあわせて、過疎少子高齢化という時代の変化に対応した、簡便な組織に再編するという程度で考えが進んでいるらしいという情報が漏れてくるだけです。 ただ私見ですが、八坂村が大町市の一部、八坂地区になった場合に、はじめて「やさかむら」が問われることになるような気がするのです。 大平、切久保、中央、石原、野平、舟場という「むら」は、合併して「やさかむら」になるほうが良いのでは(やっぱあり得ないかナァ)なにしろ、それぞれの「旧村」も、普段は「旧学区」と呼ばれているように実態として「むら」とは言えないし・・八坂に現に存在している「むら」は集落(=自治会)しかないのかもしれません。(一世帯しかない自治会もあるので「自治組織」と呼ぶのもどうかと) でも、大町市になったら「八坂の一ノ瀬」なんて市役所で言っても誰もわかってくれませんからねぇ、「中央」なんて言ったらよけい変な顔されそうだし・・(これ八坂の人があんまり読んでないんでした) |
2005/06/12
カテゴリ: むらのこと :
執筆者: yuni (11:24 pm)
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今日は、消防団の幹部訓練だった。 私は「幹部」ではないが救護員なので、一緒に参加した。 幹部規律訓練+ラッパ吹奏訓練+救護訓練なのだ。 救護員は楽だ。救急救命法の講義を聴いて、ダミー人形あいてに人工呼吸と心臓マッサージの実技をやればいい。 2年ほど救護員からはずれていたので、久々に参加したのだが、人形の仕様が少し変わっていたし手順もいくらか改訂されていたので、参考にはなった。 一般の幹部の人たちは、規律訓練である。今日は午前中暑かったので、炎天下で法被をきて行進をするのは大変だったと思う。 関心したのは、ポンプ操法の講習会。指導者の力というのはたいしたもので、目の前で誰にもわかるほど、指導の効果があらわれて選手たちの動きがよくなっていくのだ。 私は、どうしてもポンプ操法大会に情熱を燃やす気にはなれないが、そこにはそこなりの世界があり、タイムとカタチの美しさを競う「競技」として、きわめてマニアックではあるが奥深いものがあることはわかる。 こうした競技や、規律訓練が、実際の災害現場や、日常の防災活動にどの程度役に立つのかということは、この際問わないことにする。 (消防団は火を消せればそれで良いというモノではないらしい、というくらいのことは、想像できるだろう) 八坂村では、18歳から50歳までの男子は事実上全員参加するものとされている消防団。いままでは定員割れを補うために、ほとんど出てこない幽霊団員や、村に住民票のない団員までいたのだ。 だが、村の消防団と市の消防団はやはり違う。来年から大町市消防団の一分団となる八坂村消防団だが、いままでのような感覚では、やっていけないことは確かだ。 圧倒的に平均年齢の若い市の消防団員たち。近年定員確保が難しいという話も出てはいるが、もちろん全員参加ではないし、その在り方に今では根本的な違いがあるように思える。 本職の消防署員と同じような近代的作業服をまとう市の消防団には、村の消防団のもつ独特のファンタジックな世界はない。 伝統を拠り所に、いつまでも変わらないことを前提にいままで続いてきた村の消防団。60歳以下は若い衆に分類されるような村だからこそ、ある意味でおよそ非日常的なとりくみにもそれなりに本気でかかわってこれたのだ。 そんな村が市の一部になるというなかで、法被が作業服になるというだけでなく、たとえばこのような「訓練」に毎年黙って参加し続けてきた精神のありかたも変化していくような気がする。 |
2005/05/12
カテゴリ: むらのこと :
執筆者: yuni (11:00 pm)
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公民館活動というものは、八坂の普通の住民レベルでは分館での活動のことだ。分館には当然のことのように全世帯が加入するものと考えられている。 八坂村には区が無いので、明治の旧村を単位とする実質上唯一の地域組織でもある。 私も様々な村づきあいの一環として、集落のお祭り、道路愛護会などの延長のように、公民館中央分館の活動にも参加してきた。(中央とは旧大塚新田村に相当する地区。かつては役場の所在地でもあったがいまでは単に地理的に中央にあるという意味しかない。) 順番がまわってきて役員をやるようなった最近3年ほどはある程度かかわりもできたが、それ以前には、どんどやき(新年会)と村民運動会くらいにしか顔をださなかった。 いままで八坂村公民館の本館レベルの活動とは無縁だったのだが、今年度は中央分館の文化教養部長になってしまったので、はじめて分館長部長会議というのに顔をだすことになった。そこで、文化教養部の役員を決めるということになり、6分館の部長が顔をあわせて話し合った結果、私は文化部の副部長ということになってしまった。(体育部長以外はそんなに大変ではないらしい?) 公民館というのは本来は公的な社会教育機関なのだが、分館レベルでみれば、どう考えてもむらづきあいのひとつでしかない。八坂村公民館という本館組織についてはたぶん一般村民はあまりかかわることは無い。 村民運動会以外の本館主催行事に参加したことはないし、運動会の場合も分館の一員という立場なので全体はまったく見えない。 そもそも公民館本館の運営はどのようなっているのか。公民館運営協議会というのがあるので、そこが中心になっているのだろうか。分館には総会があるが本館には総会はないようだし、公民館費というのは分館に徴収されるものなので、本館の予算というのはどうなっているのか?(もちろん公民館本館という建物は存在しない) とにかくなにもわからないので、質問もしようがなかった。 合併後も八坂村公民館は、八坂公民館というかたちでほぼそのまま存続する。大町市には市全体を統合する「大町市公民館」というものは存在しないので、いままでの、平、大町、社、常盤に、八坂と美麻が加わって、全部で6つの公民館が並立することになるのだ。 昭和の合併のあと旧町村の支所が廃止されてからは、大町市の旧町村を単位とした地域組織として公民館がほぼ唯一のものとなっている。 今度の合併では、八坂と美麻にだけは、地域自治組織ができるが、公民館のありかたも、どうやらこれとリンクしたものになるらしい。 予算は減るが活動は増えるという最近の公民館の活動。分館レベルで見れば、役員にとってはかなりの負担になっているのも事実。 とにかく謎だらけの組織なのだが、本館役員になってしまったので、これからいろいろとかかわることは確実だ。 任期は2年、ちょうど合併をはさんだ時期。これって結構な大役なのかもしれない。(うっかり引き受けておいて全然自覚してないのだが) |
2005/05/11
カテゴリ: むらのこと :
執筆者: yuni (11:53 pm)
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大糸タイムスによると、八坂村役場で合併後の八坂地区にできる「地域自治組織」についての素案がまとまったらしい。素案がどのようにつくられたのか、今後村民の意見を採り入れてさらに練り上げていくつもりがあるのか、よくわからないが、正直どうでもいい気分でもある。 やさかむら.netがはじまったひとつのきっかけは、合併問題だった。 2年前。合併の話がようやく具体的に動き始めたとき。合併反対運動をやる気にはなれなかったけれど、このままでは面白くないと考えて。以前からやりたかった地域メディアというものを「新聞」スタイルではじめてみた。 同時に合併問題検討委員に委嘱されたものだから、毎日が非常に忙しくなってしまって、今ではこの中途半端な自立メディアの試みは個人の趣味レベルにまで後退している。 結局あの検討委員会は、メンバーは個性的で素晴らしかったけれど、活動はすっかり過去のものにされてしまった。「合併は急がず自立(自律)の道を模索すべき」という意見書(→参照)の結論は、単に合併反対と受け止められてしまっために、意見書本文の詳細や、検討委員会での議論の内容なども含めて、いまではほぼ顧みられていない。その議論の具体的な中身は、合併の賛否だけではなく、地域としての八坂村を盛り上げていくには何をしたらいいのかという、実に多様なアイディアの集まりだったのだが。 現在行われている役場内での地域自治組織の検討に際して、合併問題検討委員会で行われた様々な議論の成果が活かされたかどうかわからない。どうもそのような方向ではなく、既存の地域組織をどのように再編して、過疎、少子高齢化という状況のなかで、いまのかたちを継承していけるかというような、いわば組織論が中心になっているらしい。(たとえば先行して実施された消防団の分団再編において、地域の自律的な防災のありかたは特に考えられていないようだった。消防団員のもっぱらの関心事は、合併したら毎年ポンプ操法大会に出なければならないのか?というようなことでしかない。) 私は、組織形態には関心はない。地域自治の要は住民がいかに活き活きと生活していけるかということだ。生活する人がいなければ、組織など意味がない。せいぜい望むことは生活のじゃまにならない簡素な組織であって欲しいということくらいだ。 地域の自治を考えるにも、結局は生活の具体的な中身の問題が第一。この地域に暮らし続けることが楽しいと思って、自らの仕事と家庭、地域のかかわりのなかに、ここに居ることの意味を見いだせるか。 それができなければ、例えどれほど先祖伝来の財産を持っていたとしても、移動の自由、職業選択の自由が当然の社会のなかで、次の時代にこの地域を引きついでいくことなどできないのではないだろうか。 私は、新参の余所者だ。いまだかつて自らの足を置く地面を所有したことがない。でも、ここでなんとか暮らしていこうと思っているし、この地での暮らしを楽しんでいる。生活が楽しいなんて公言したら笑われるのかもしれないが。 |