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うぇブログ - yuniさんのエントリ
 yuniさんのエントリ配信

最新エントリ
2005/05/02
カテゴリ: わたしくごと : 

執筆者: yuni (1:35 am)
棚田の真ん中で、歌いました。演奏もしました。それはとっても楽しいできごとでした。

「棚田の風コンサート」と名付けて突然はじまったこの企画。言い出したのは私です。すぐに以前からやりたかったという仲間が加わり、二人で企画を進行。

私はつれあいに声をかけて、鍵盤ハーモニカとリコーダ&ギター&歌という、不思議な組み合わせのファミリーユニットを結成、何年も前から「一度はやってみたかった」曲を2曲歌いました。リコーダーは用意したのは一曲だけ、そして無謀なことにその場でリクエストに応えて即興的に演奏しました(そんなスタイルを思いついたのは当日のこと)。いずれも曲名はあえて非公開。次回もやりますから、5月14日、八坂村の梨の木棚田まで来てください。

もうひとりの企画仲間、明野のWさん一家は、自分たちのプログラムに加えて、みんなで歌えるうたの楽譜も用意してくれました。私たちは、自分たちの演奏のことでほぼ一杯でそこまで気を回すゆとりありませんでした。


もう少し当日のレポート風に書きましょう。
Wさん一家の演奏のあと、みんなで歌おうコーナーから、梨の木堰の水路整備(水あげ)に一緒に参加した、八坂小の五年生たちのうち何人かが参加してくれました。事前にはなにも準備してなかったので、なんとその場でやる曲を決め、そこにあったリコーダーと鍵盤ハーモニカを手に、練習を開始。そのまま公開練習+公開リハ+本番と、音楽が生まれる課程を全てやってくれました。
これも普通のコンサートではあり得ないことですが、やってるうちにとても楽しくなったようで、次回までにはちゃんと練習して参加したいと言っていました。

時間の都合で午後からなら来られるという人が何人かいたので、急遽午後から第二部をやることに。第2部はお客オンリーという人よりも演奏者の方が多い状態でしたが、みんなこういう場所でやってみたかったという気持ちがあったようで、とにかく楽しみました。


客観的に見れば、極小規模の音楽会なのですが、はじまりは何でもこんなモノです。今回はいくから音楽をやりそうな人たちを事前に誘ったのですが、ほとんど断られました。あまりに突然ということもあったのでしょうが、それよりも、ちゃんとした音楽活動をしていたことが有る人にとっては、田んぼの真ん中で歌うなんてイメージがわかなかったのかもしれません。

実は私が歌ったり笛を吹いたりするという姿は、ここに来て10年にもなるのに八坂村ではまったく公開したことがありませんでした。それを見て、何事?という不思議な顔をして遠くから見ていた小学生の親たちもいました。


今回、やってみてわかったことは。実は、これが私のやりたかった事だということです。合併問題がきっかけになって、村の検討委員を委嘱された傍らで、地域情報紙をつくってみたり、コミュニティーサイトまがいのことをやったり、本業のかたわら、八坂という地域でこれからもみんなで楽しく暮らしていくことを願って、いろんなことをやってみましたが、結局私としてはいまひとつピンとこないかんじでありました。

これからも、地域自治組織のこととか、いろいろあるとは思います。美麻村では本当に熱心な地域活動が続いています。そんななかで、私はなにをすればいいのかいろいろ思考錯誤です。でも、結局は自分流にしかできないのです。

地域で生活し続けるために何をするか。それは、自分の考えに会う仕事をみつけてちゃんと働くこと。隣近所の人たちと仲良くやっていくこと。そして、みんなが楽しめるような何かを創り出すこと。

他人の評価はともかく。私はかなり音楽が好きです。

5月14日は、さらに本気で企画をすすめています。また私たちもやります。このような気持ちを後押してくれた直接のきっかけは、名古屋で活動する「木実の森」という、純粋アコースティック系の素敵な歌うひととの出会いでした。とってもまっすぐな歌への志をもっていて、テーマは「地球」と言うのです。棚田で歌ってくれたら、それは楽しいことになりそうじゃないですか。
2005/03/06
カテゴリ: むらのこと : 

執筆者: yuni (8:27 pm)
今日は八坂村消防団の出初め式だった。
(本来なら新年にやるべきことをなぜ今頃やるのかいまだに不思議ではある。)

私は体調が回復せず欠席、八坂村消防団としては最後の出初め式だったので、ぜひ出ておきたかったのだが・・寒い体育館のなかで長時間立ったり座ったりする自信がなかった。

4月から八坂村消防団は分団編成を変えることになっている。6分団を整理統合して3分団とする。従って、私の所属する中央分団としてもこれが最後の出初め式だったわけだ。4月からは切久保分団と合併し第2分団になる(担当地区をあらわす適当な名称を考えるべきという気もするが、大町との合併を見越して番号にしたのかもしれない)。

出初めの後は恒例の慰労会があるのだが、分団合併後は当然分団としての行動になるのだろうか、それとも、元中央分団という単位としてのなにかしらの行動は残るのだろうか。

いまごろ中央分団は大町のどこかの焼き肉屋にいるはずだ。八坂の他の分団もたぶん大町だろう。

来年1月になると、八坂村消防団は大町市消防団に編入されることになっている。大町市消防団では分団は番号で呼ばれているから、おそらく八坂分団ではなく、第○分団ということになるのであろう。八坂村消防団の各分団は○部と呼ばれるはずだ。(名称については決まっているのか知らない)

ついでに言えば、消防団員の定年もちがうので、私は来年度一杯で退団できるかもしれない。そうなれば来年出初め式のために大町まで出かける必要は無くなるだろう。もっともそのあたりの運用については詳細はまだ公表されていないのでよくわからない。

出初め式は、まぁどうでも良い。

だが実際の災害の場面では、いろいろな不安要素がある。現在の八坂村消防団の定年は50歳だが、大町市の基準(何歳なのか忘れてしまった)にあわせればとうぜん若くなる。40代が主力の八坂では団員数は半減する。それに人口あたりの団員の定数という問題もあるので、遠からず大幅に削減になるはずだ。

八坂村は非常に火災が多く、去年は台風災害もあった。山菜とりなどでの行方不明者も毎年出る。休日や夜間の災害が多いので、消防団は常に大活躍である。
以前消防学校に行ったとき、八坂ほど出動の多い消防団は無いという印象をうけた。(良いことではないが役には立っているのだ。)
火災では大町から広域消防が駆けつけるより早く常に消防団が現場に到着し、初期消火にあたる。(広域が到着するのはだいたい出火から30分以上たってからだ。川手方面でも救急車以外は信州新町から来ることは無い)

また去年の台風のときには広域からの支援は皆無だったように、台風や地震など広域的な災害では、地元消防団以外にたよるものは無い。

残念ながら、火災の場合出火元の全焼は避けられないことが多い。しかし類焼を防ぐことができているのは、消防団が間に合うからと行っても良いだろう。見た目の志気はぱっとしないが、実際には仕事ができる集団だ。


市村合併の理由は財政破綻なので、そう遠くない将来。八坂地区の消防は人員装備ともに確実に削減になるはずだ。消防団員の定数は人口割りではなく、面積割りにすべきという議論は一応可能だが、大町市の防災意識を考えればたぶん現実的ではない。

しかし人々の生活がある以上、防災体制は不可欠だ。おそらく、定年のない予備役的な防災組織が必要ということになる。もちろん無給である。


もうひとつ心配なのは、コミュニティーとしての消防団の機能だ。八坂には青年団組織が無いので、特に分団は実質上唯一の男子青年の集まる組織だった。
ソフトボールなどはサークル活動だから任意だが、消防団は公的な組織として、いやいやでも(あるいは表向きのいやな顔をして)集まるのが任務なのだ。(八坂では消防団に入らないという自由はほぼ無い)

各分団に6年ごとにまわってくるポンプ操法大会などは、団員にとってはまったくひどい負担を強いるものだけれども、義理でも参加しなければならないというところに、コミュニティーを維持する機能はあったのだ。

もちろんこういうことは消防団でなければという事はない。

しかし、小西砂千夫先生も高く評価していた消防団の田舎における役割というものには、大町のような都市?とはちがい多様なものがあるような気はする。

村に役場や議会はいらないが消防団だけは必要かもしれない?(とまでは小西先生は断言してないが)
2005/02/21
カテゴリ: むらのこと : 

執筆者: yuni (11:58 pm)
美麻村のtakeyamaさんによるブログ 

岳山に吹く風は・・・
http://blog.livedoor.jp/takeyamanokaze927/archives/14717200.html

での記事を受けて

部長級の支所長をおき、ほぼ現在の役場と同じ機能を持つ総合支所・・・

これはどう考えても、合併直後の激変緩和措置でしかないでしょう。

すでに大町市側では批判が出ていますし、財政問題を合併の最大の理由にしていたわけですから、不合理です。

もっとも現実的に考えれば、職員の首を切らないことにしたけれど、八坂や美麻の役場の人間がいきなり市役所に来て貰っても、市役所側としてはちょっと困るわけです。(村役場と市役所ではまったく文化が違います!)定年までそのまま「村役場」やっててもらった方が良いという考えかたもあるかもしれません。

合併特例で、10年間は交付税が据え置かれるので、直ちに財政問題になるわけでもありません。(この特例はまさに職員の身分保全のためのものでしょう)

それゆえ、10年かけて徐々に規模を縮小し、最終的には「出張所」的な窓口機能のみの支所になると考えるのが行政的には自然です。将来的にはコンビニでも住民票がとれるようになるようですが、八坂にはコンビニはありませんから・・

問題は地域自治との兼ね合いでの支所の役割です。

漏れ聞こえるところでは、八坂村役場では支所を事実上の「むら役場」とし今後組織される地域自治組織を密接にリンクさせた「八坂地区むら」を構想しているようです。


(地域自治組織については、村民参加の協議の場をつくることを求める意見が先の懇談会でもありましたが、いまのところ役場側の対応はありません。叩いても簡単には壊れないようなしっかりした叩き台を用意しているのでしょうか。)

行政機関としての支所は窓口だけでもいいかもしれません。しかし地域自治の拠点としての「むら役場」の存在は非常に重要です。

一般に市役所というものは行政機関に特化しやすく、地域づくりの拠点、住民の拠り所という雰囲気はありません。大町市役所もほぼそんな感じです。

しかし村役場は村民なら誰でも気楽に訪れて相談を持ちかける場所であり、なれ合いの危険を常にはらみながらも、村民は職員を職名でも名字でもなく名前で呼び。職員も村民にいちいち○○さん個人として対応してきました。(普段から村づきあいを良くしておけば役場での対応も良くなるというようなことは普通にあります)

地域自治の事務局という役割もまた重要です。八坂では事務局を独自にもって機能している全村レベルの「自治組織」というのはほどんど無いのが現状ですから。

このような地域自治の拠点は、本来なら平地区や常磐地区にもあっていいものです。この合併を機会に、現在は公民館しかない大町市の旧町村に地域の拠点機能を強化することを考えるべきです。(公民館は本来社会教育活動ですから役割が違います)

10年後の支所の姿を考えるに、

窓口だけであとは空き部屋だらけの殺風景な建物があるだけ

それとも、

窓口以外の場所は様々な地域活動の拠点として、さまざまな地域活動をになう人々が自由に出入りする村でいちばん元気が集まる場所になっている。

現実的には、役場の建物はちょっと大きすぎかもしれませんね、アキツ+体験館でさえ使い切れないのに・・・・・
2005/02/17
カテゴリ: むらのこと : 

執筆者: yuni (11:26 pm)
今日、八坂村議会で議決されたはず。

傍聴に行けなかったので、ニュースの記事で「はず」という見出しで書くわけにもいかないし、ここで書いておきます。

全会一致ではなかったのではと思いますが、あとで確認します。

すでに、ニュースサイトであることをあきらめてしまって、八坂村の歴史上最も重要なニュースのひとつかもしれないのに、取材をしていません。まぁ本業優先ということですが、予想どおりのことですから、節目としてはおおきいですが、事件ではありませんね。でも、議決に際して議員さんたちがどのような思いだったのか、気になるところではあります。

合併を「むらづくり」のきっかけとして前向きにとらえ、いままでの「村」ではできなかったことを「市」のなかの「むら」として考える。

それは、語るのは簡単ですが、実際にやるとなると楽ではありません。

いろいろ考えたなかで、今いちばん大切だと思っているのは、このむらでしっかり暮らしていくということです。だから本業最優先なのです。

役場がなくても、議会も村長もいなくても、むら人がいれば「むら」は続いていきます。「国破れて山河あり」という山河に、もし人がいなければ何の意味があるのでしょう。

「合併しても八坂(という地)がなくなるわけではない」としか言えなかった村長さん、「合併しても八坂に人が暮らさなくなるわけではない」と私は言います。

私はここで暮らしていきますから。
2005/01/29
カテゴリ: むらのこと : 

執筆者: yuni (12:41 am)
合併しても別に何も変わらない、大町市民はほとんどそう思っているでしょうし、八坂・美麻の人々も、多少の変化はあっても、生活には影響無いだろう、という程度の捉え方をしていることだと思います。

住民投票やアンケートなどで住民の意向を聴かないということで、結果的に「この合併はたいした問題ではない」「役場が合併するだけ」という印象を住民が持つことになっています。もととも住民の生活に密着した地域づくりと、行政の間にはズレは生じやすいのですが、地域の変革のチャンスとも言えるこの合併を前にして、住民側の盛り上がりが無いということは地域の将来にとっての大きな不安材料にです。

合併特例措置によって急激な変化を見えにくくしているものの、合併してもしなくても、地方行政はいままでに無い大変革を迫られているわけで、これから10年かけて、よほどのスリム化をしなければ、行政はやっていけません。職員80人削減程度では済まないことも考えられます。次の合併をすでに語る人もいるようですが、今度は特例債ありません。

行政サイドから見たときに、地域自治の推進というのは、コスト削減の切り札とも言える政策になります。いままで役場がやっていたことを民営化していく。NPO法人は人件費の安い公益団体として、すでにあらゆる部門で行政の肩代わりを期待されていますし、さらに地域の公共的団体に至っては、多少の活動費はあっても無給です。

この行政のスリム化の政策も、住民サイドから考えれば、議会の議決という民主的手続きの名のもと、自分たちが日々肌に感じていることとはどこか違うことばかりが進められてきたいままでの「行政」にかわり、自らが担い手となる地域づくりが公認され、すくなくとも走り出しの段階では強力に支援してもらえるということで、ある意味ではチャンスの到来でもあります。
そう遠くない将来、私たちは地域活動の「事務所」を家賃をほとんどはらうことなく、空き部屋だらけになる支所のなかにかまえることだってできるでしょう。

地域にある様々な公益的団体は整理統合され、総合的地域づくり組織に生まれ変わるかもしれません。議会や村長のかわりに、地域に対して責任をもった活動を担うわけで、その重みはいままでの「自治会」「公民館」などとは比較になりません。月一回以上の定例会議、事あるごとの臨時の会合など、事務局の支所職員もたいへんですが、委員になった一般住民の負担は並大抵のことではありません(あの合併問題検討委員会のことを考えれば想像はできます)でも今度は最後に水をさしに来る村長はいないのです。やりたいことが思いっきりできる。

しかし峠の向こうにある市役所は巨大な存在です。むらの地域自治でいくら頑張ってもそのまま市の行政に反映するのは困難です。「予算はやれないが勝手にやって」と言ってくれれば、それもいいかも。

地域自治が最終的に試されるのは、八坂・美麻の人口が増えるかどうかです。結局どんなに頑張っても人間がいなくなればそれでオシマイなのです。減らさない努力ではなく、増やすところまでもっていかなければ、例えば学校を守ることはできない。学校を潰さないでと陳情するよりも、現にこれだけの子どもがいるという事実は何倍も強力です。

むらが生き残るための地域自治活動が本当に実現すれば、それは大町市全体の地域づくりをリードするほどの力になるでしょう。大町市の各村々町々だって、ほんとうは地域の生活の場を自らの責任と力で築いていくということは、必要なことなのです。


とまぁ勝手なことを書きましたが、八坂でも「地域自治」の勉強会をやりませんか?

合併協議会の職員さんはたぶん最初の講師になってくれるでしょう。大糸タイムスにも紹介された平林さんを中心にした「第2分科会」毎月そばを打っているそうですが、そういう楽しみは大事ですね。

合併検討委員に限らずとりあえずフリーな仲間で、2月の合併議決の前にはやりませんか?(とここに書いても反応は期待できないので、私はこの週末にファックスと手紙でとりあえずの考えを送りはじめることになるのか・・)

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